下町生まれの忘備録

歴史とアメフトと短編小説やらなんやら

「信長の野望」から考察する話②

前回からだいぶ時間が空いてしまいました。

 

皆さん、新型コロナウイルスで大変だと思いますが明けない夜は無いという心持ちで頑張りましょう。

 

さて、今回は前回から始まった地政学的にみた各地方の重要拠点の紹介の続きです!

 

今回は関東地方です!

 

②関東地方:群馬県箕輪城(長野家)

 

 皆さんが思い浮かべる関東地方の有名な戦国武将は誰でしょうかね?無難にいけば北条早雲から5代に渡って南関東を支配し、関東の覇王とまで言われた北条家歴代当主ですかね?

 

 多分、箕輪という地域の名前も長野家という戦国大名の名前も知らない人が多いと思います。この箕輪城近辺を治めていたのは上州の猛将:長野業正という戦国大名です。この長野業正はなんとあの甲斐の虎:武田信玄の侵攻を6度にも渡って撃退し、「業正がいる限り、上州には手は出せぬ」とまで言わしめた猛将です。

 武田信玄といえば越後の龍:上杉謙信川中島の戦いで5度も戦っていますがそれを凌駕しています(戦国時代に5度も6度も同じ相手と同じ地域を争うことは非常に稀です)。さて、武田信玄はなぜ6度もこの箕輪城を侵攻したのでしょうか?

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 この地図を見て皆さんどう思いますか?前回のお話で忘れてしまったのですが、日本の高速道路と新幹線は昔の物流網や軍道に沿って作られている事が多いです。ですから地図の黄色い線(高速道路)は昔の街道だったとも言えます。箕輪城は現在の関越自動車道上越新幹線上信越自動車道のちょうど分岐点にあることが分かります。関越自動車道は関東と越後を結び、上信越自動車道は関東と信州を結んでいます。

 軍事的に言えば、越後に攻めることもでき、また、信州に攻めることもできる重要拠点です。人や組織は一方向からの攻撃には容易に対処できますが、多方向からの攻撃はどうでしょう?二方向から攻撃されれば、必然的に戦力を二分割しなくてはいけません。武田信玄川中島の戦いで越後への進出を目指していましたが、もし箕輪城に長野業正という武将がいなければ二方向から越後に侵攻し、歴史が変わっていたのかも知れませんね。

 

関東地方編は以上となります!

 

続いては中部地方なのですが、範囲が広大なため3回に分けてお話したいと思います!

 

では、またお会いしましょう。