下町生まれの忘備録

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「信長の野望」から考察する話③

 地政学的にみた各地方の重要拠点の紹介シリーズ第3弾ということで、今回からは中部地方編です!

 

 前回にも言いましたが、中部地方は範囲が広大なため3回に分けてお話したいと思います。

 なぜ3回かというと、中部地方は3つの地域区分に分けられる事が出来るんです!

日本海に面する北陸地方

②内陸に位置する中央高地(東山地方)

③太平洋に面する東海地方

という事で、今回は日本海に面する北陸地方の重要拠点を紹介したいと思います!

(ちなみに北陸地方に属する県は、新潟県富山県、石川県、福井県です。)

 

北陸地方:新潟県春日山城(上杉家)

 

 さて、歴史好きな方もそうでない方も新潟県と言ったら「上杉謙信」と即答してくれると思います。前回のお話でも川中島の戦いを紹介しましたが、甲斐の虎:武田信玄のライバルと言って良い上杉謙信の居城です!

 上杉謙信と言えば、戦国大名達が自らの力を誇示するのとは真逆に、武神:毘沙門天を信仰し、義の為に戦った珍しいタイプの戦国大名です。この義の心は謙信亡き後の上杉景勝や、直江兼続達にも引き継がれました。

 さて、この春日山城ですが名前に春日山とある通り山を要塞化したお城なんです!戦国時代のお城には主に2種類あります。1つ目は平野などに建てられた平城と呼ばれるお城と、2つ目は山などの自然の地形を利用した山城と呼ばれるお城があります。今回の春日山城は後者の山城に分類されます!

 実は筆者は去年の夏休みを利用してこの春日山城に行ってみました!現在は当時の門や櫓などは無く、案内図や毘沙門天堂などが置いてあるだけの山でしたね。。。。

 話は少々ズレましたが、本題である春日山城地政学的優位点を毎回お馴染みの地図を用いてご説明したいと思います。

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 この写真を見て皆さん、どう思いますかね?

前回のお話で、人や組織は多方向からの攻撃には対処しづらいという話をしました。戦国時代に当てはめてみると、物流や交通の便が良い地域・土地というのは実は攻められ易く、守りにくい地域・土地ということになります。ましてや戦国時代、右も左も敵だらけなので常に周りを警戒しなくてはいけないんですよね。しかし、裏を返せば攻められる方向さえ分かっていれば対処はしやすいと言うことも言えると思います。

 さて、今回はこれまで紹介した米沢城や箕輪城には無い特徴があります。分かりますか?

正解は「」です。いや見れば分かるでしょと言われれば、そうなのですがこれが結構重要なポイントなんです。

 現在の日本の主要都市ってほとんど海に面している、もしくは海の近くではないですか?東京、名古屋、大阪、福岡と他にもありますが海に近い都市ですよね?海が近いと良い事ってなんだと思いますか?それは港を作れることです。現在の世の中は道路が整備されて日夜関係なくトラックが日本全国を駆け回っています。また港でも大型タンカーで世界中の都市から製品や石油などを運んでいますし、空港では飛行機が海外からの製品などを大量に運んでいます。しかし、戦国時代ではどうでしょう?

 陸路では道路も整備されていなかったでしょうし、当時の最速の乗り物は馬です。馬に荷車で持たせても量に限界がありますし、道幅が取れない場所もあったかも知れません。しかし、海路ならどうでしょう。船ならば陸路より遥かに大量の物を運べますし、各地の交易も出来ます。さらに、軍事的にいえば海から攻められる可能性はほぼ0に等しいのです。

 今回の春日山城では、北方面は海に面しており、東方面は自国の領土で安全が確保されています。西方面を見てみますと、現在の北陸新幹線と在来線が通るルート1本しかありません。つまり、必然的にこの3方向からの攻撃はほぼ無いという事になります。残る南方面は前回のお話でも紹介した川中島がある方面です。攻撃を受けるとすると南方面からだというのが消去法で分かると思います。実際に武田信玄と5度も川中島の戦いを繰り広げているのですから、歴史がそれを物語っていますね。

 

 話が大きくなってしまったのでまとめますと、春日山城は交易地と軍事拠点の2つの面で優れた城だったという事です!!

 

今回は以上になります!

次は少し余談として、去年の夏休みで行った旅行記についてお話したいと思います。