下町生まれの忘備録

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「信長の野望」から考察する話:余談

 今回は筆者が大学生最後の夏休みに青春18切符で京都から北回りで東京まで行った旅行記のお話です。

 そもそもなぜこの青春18切符旅をしたのか。その理由からご説明したいと思います。

 就職活動も終わり、春学期のテストも終わったある日。元々夏休みは日本国内のどこかを旅する予定でした。しかし、大学生なのでまぁ金がない。でも時間は無限の如くある。

 じゃあ青春18切符じゃね?と思い立った次第です。じゃあどこへ行く?となった時に夏といえば祭り。日本の祭りで有名なのはなにかなと調べてたら東北三大祭りの文字が。

 筆者は生まれてこの方、東北には行った事がありませんでした。これはもう行くしかないなと思ったのです。それに各県の城巡りをしたら一石三鳥くらいの価値があると思い、決行することにしました。

 行く順番としては

京都→彦根→福井→金沢→富山→新潟→鶴岡→秋田→弘前→青森→盛岡→仙台→米沢→会津若松→東京と廻り、計10日間青春18切符旅をしました。

ここでは旅の中で一番感動した場所、一番美味しかった食べ物、一番辛かった事、一番印象深かった事を記したいと思います。

 

①一番感動した場所:山形県立石寺

 

 仙台駅と山形駅を結ぶJR仙山線の山寺という駅にあるお寺です。このお寺は松尾芭蕉の「奥の細道」にも登場します。

 「閑さや 岩にしみ入る 蟬の声」の一句が詠まれた場所です。山の頂上にある本堂まで石段を1段1段踏みしめて登っていきます。頂上には麓を見渡せるお堂があり、そこからの景色は圧巻です。山形県に訪れた際はぜひ立ち寄ってみて下さい。

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②一番美味しかった食べ物:金沢市岩牡蠣

 

 金沢市は1日目の宿泊地です。金沢市は加賀百万石の前田家の居城:金沢城や、兼六園21世紀美術館と普通の観光地としても有名です。そんな金沢で夕飯を食べに繁華街の方に行くと、「大関」が掲げられている居酒屋さんを発見しました。僕の持論なんですが、この「大関」を掲げてる居酒屋さんにハズレはないと勝手に思っています。その居酒屋に入るとカウンターで女将さんが呼んでくれてます。壁に貼ってあるお品書きをみると岩牡蠣があるじゃあないですか。迷わず注文して、出てきた岩牡蠣を見てびっくり。普通の牡蠣の2倍、いや3倍はある牡蠣の身が出てきたんですよ。半分に切ってもなお一口でいくか迷うレベルでした。味は言うまでもなく美味い。その一言でした。まぁでもお勘定もびっくりでしたけどね。

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③一番辛かった事:新潟県横断

 

 1日目は京都から金沢へ行き、そこまで電車に乗ってる時間はありませんでした。しかし、2日目。これがしんどかった。3日目には秋田の竿頭祭りがあり2日目にどうしても金沢から新潟県を抜けて鶴岡まで行かなければなりませんでした。金沢から富山までは割とすぐでしたし、富山から直江津までの「あいの風富山鉄道」はただ日本海を眺めながらひたすら電車に揺られて日本海綺麗だなーくらいの気楽な電車旅でした。

 しかし、ここで1つ誤算がありました。直江津から新潟までは行かれた方は分かると思いますが、結構な時間がかかります。なので、まぁ楽に座れるだろうと思っていたら、まさかの満員電車。どっかで降りるかと思いきや人は降りずに各駅で乗ってくるんですよ。そしてみんな浴衣姿。ましてや僕なんてでかい荷物持って半袖短パンサンダル姿。車内での目線も辛かったです。そして、ある駅で皆さん降りました。駅名は長岡。そう、その日は長岡花火大会だったんですね。電車の乗車時間が長く、このハプニングが一番辛かったですね。

 

④一番印象深かった事

 

 この青春18切符旅の目的の1つである東北祭りで筆者が見れたのは秋田の竿頭祭り、青森のねぶた祭り、そして仙台の七夕祭りです。筆者が印象深かったのは祭りの中での女性の立場です。筆者の地元も、9月の祭りの時期になれば町内会の法被を着て、男衆が中心となって神輿を担ぎ、女衆は各地で担ぎ手に振る舞う料理や酒を用意します。神輿の担ぎ手が女衆だけの女神輿もありますが、スポットライトが当たっているのは男衆だと感じていました。

 秋田の竿頭祭りは提灯のついた竿頭を男衆が技を見せ競い合います。子供の男の子も子供用の竿頭を持って祭りに参加しています。しかし、女衆や女の子は太鼓や笛を吹き、男衆の後ろをぴったりとくっついていました。それとは打って変わって青森のねぶた祭りは、ねぶたを曳くのは男衆ですが、女衆が大太鼓を叩いたり、ねぶたの後ろで掛け声に合わせて踊るハネトと呼ばれる集団は男も女も関係なく祭りに参加していました。

 この2つの祭りを観て感じた違和感を正しい言葉で表現する事は難しいですが、この違和感を大切にしようと思いました。

 

 以上で、旅行記は終了となります!

最後に、東北は本当に良いところなので皆さん是非コロナが収まったら足を運んでみて下さい。次回は地政学的にみた各地方の重要拠点シリーズの続きになります!

 

 

「信長の野望」から考察する話③

 地政学的にみた各地方の重要拠点の紹介シリーズ第3弾ということで、今回からは中部地方編です!

 

 前回にも言いましたが、中部地方は範囲が広大なため3回に分けてお話したいと思います。

 なぜ3回かというと、中部地方は3つの地域区分に分けられる事が出来るんです!

日本海に面する北陸地方

②内陸に位置する中央高地(東山地方)

③太平洋に面する東海地方

という事で、今回は日本海に面する北陸地方の重要拠点を紹介したいと思います!

(ちなみに北陸地方に属する県は、新潟県富山県、石川県、福井県です。)

 

北陸地方:新潟県春日山城(上杉家)

 

 さて、歴史好きな方もそうでない方も新潟県と言ったら「上杉謙信」と即答してくれると思います。前回のお話でも川中島の戦いを紹介しましたが、甲斐の虎:武田信玄のライバルと言って良い上杉謙信の居城です!

 上杉謙信と言えば、戦国大名達が自らの力を誇示するのとは真逆に、武神:毘沙門天を信仰し、義の為に戦った珍しいタイプの戦国大名です。この義の心は謙信亡き後の上杉景勝や、直江兼続達にも引き継がれました。

 さて、この春日山城ですが名前に春日山とある通り山を要塞化したお城なんです!戦国時代のお城には主に2種類あります。1つ目は平野などに建てられた平城と呼ばれるお城と、2つ目は山などの自然の地形を利用した山城と呼ばれるお城があります。今回の春日山城は後者の山城に分類されます!

 実は筆者は去年の夏休みを利用してこの春日山城に行ってみました!現在は当時の門や櫓などは無く、案内図や毘沙門天堂などが置いてあるだけの山でしたね。。。。

 話は少々ズレましたが、本題である春日山城地政学的優位点を毎回お馴染みの地図を用いてご説明したいと思います。

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 この写真を見て皆さん、どう思いますかね?

前回のお話で、人や組織は多方向からの攻撃には対処しづらいという話をしました。戦国時代に当てはめてみると、物流や交通の便が良い地域・土地というのは実は攻められ易く、守りにくい地域・土地ということになります。ましてや戦国時代、右も左も敵だらけなので常に周りを警戒しなくてはいけないんですよね。しかし、裏を返せば攻められる方向さえ分かっていれば対処はしやすいと言うことも言えると思います。

 さて、今回はこれまで紹介した米沢城や箕輪城には無い特徴があります。分かりますか?

正解は「」です。いや見れば分かるでしょと言われれば、そうなのですがこれが結構重要なポイントなんです。

 現在の日本の主要都市ってほとんど海に面している、もしくは海の近くではないですか?東京、名古屋、大阪、福岡と他にもありますが海に近い都市ですよね?海が近いと良い事ってなんだと思いますか?それは港を作れることです。現在の世の中は道路が整備されて日夜関係なくトラックが日本全国を駆け回っています。また港でも大型タンカーで世界中の都市から製品や石油などを運んでいますし、空港では飛行機が海外からの製品などを大量に運んでいます。しかし、戦国時代ではどうでしょう?

 陸路では道路も整備されていなかったでしょうし、当時の最速の乗り物は馬です。馬に荷車で持たせても量に限界がありますし、道幅が取れない場所もあったかも知れません。しかし、海路ならどうでしょう。船ならば陸路より遥かに大量の物を運べますし、各地の交易も出来ます。さらに、軍事的にいえば海から攻められる可能性はほぼ0に等しいのです。

 今回の春日山城では、北方面は海に面しており、東方面は自国の領土で安全が確保されています。西方面を見てみますと、現在の北陸新幹線と在来線が通るルート1本しかありません。つまり、必然的にこの3方向からの攻撃はほぼ無いという事になります。残る南方面は前回のお話でも紹介した川中島がある方面です。攻撃を受けるとすると南方面からだというのが消去法で分かると思います。実際に武田信玄と5度も川中島の戦いを繰り広げているのですから、歴史がそれを物語っていますね。

 

 話が大きくなってしまったのでまとめますと、春日山城は交易地と軍事拠点の2つの面で優れた城だったという事です!!

 

今回は以上になります!

次は少し余談として、去年の夏休みで行った旅行記についてお話したいと思います。

 

 

「信長の野望」から考察する話②

前回からだいぶ時間が空いてしまいました。

 

皆さん、新型コロナウイルスで大変だと思いますが明けない夜は無いという心持ちで頑張りましょう。

 

さて、今回は前回から始まった地政学的にみた各地方の重要拠点の紹介の続きです!

 

今回は関東地方です!

 

②関東地方:群馬県箕輪城(長野家)

 

 皆さんが思い浮かべる関東地方の有名な戦国武将は誰でしょうかね?無難にいけば北条早雲から5代に渡って南関東を支配し、関東の覇王とまで言われた北条家歴代当主ですかね?

 

 多分、箕輪という地域の名前も長野家という戦国大名の名前も知らない人が多いと思います。この箕輪城近辺を治めていたのは上州の猛将:長野業正という戦国大名です。この長野業正はなんとあの甲斐の虎:武田信玄の侵攻を6度にも渡って撃退し、「業正がいる限り、上州には手は出せぬ」とまで言わしめた猛将です。

 武田信玄といえば越後の龍:上杉謙信川中島の戦いで5度も戦っていますがそれを凌駕しています(戦国時代に5度も6度も同じ相手と同じ地域を争うことは非常に稀です)。さて、武田信玄はなぜ6度もこの箕輪城を侵攻したのでしょうか?

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 この地図を見て皆さんどう思いますか?前回のお話で忘れてしまったのですが、日本の高速道路と新幹線は昔の物流網や軍道に沿って作られている事が多いです。ですから地図の黄色い線(高速道路)は昔の街道だったとも言えます。箕輪城は現在の関越自動車道上越新幹線上信越自動車道のちょうど分岐点にあることが分かります。関越自動車道は関東と越後を結び、上信越自動車道は関東と信州を結んでいます。

 軍事的に言えば、越後に攻めることもでき、また、信州に攻めることもできる重要拠点です。人や組織は一方向からの攻撃には容易に対処できますが、多方向からの攻撃はどうでしょう?二方向から攻撃されれば、必然的に戦力を二分割しなくてはいけません。武田信玄川中島の戦いで越後への進出を目指していましたが、もし箕輪城に長野業正という武将がいなければ二方向から越後に侵攻し、歴史が変わっていたのかも知れませんね。

 

関東地方編は以上となります!

 

続いては中部地方なのですが、範囲が広大なため3回に分けてお話したいと思います!

 

では、またお会いしましょう。

「信長の野望」から考察する話①

さて、今回は天下統一をする上で地政学的にみた日本についてお話ししたいと思います。

 

日本は6852もの島からなる島国であり、国土のうち約73%を山地が占める山国って知ってました?

日本で初めて本格的な地図が作られたのは江戸時代に入ってからで、伊能忠敬という人物が実際に日本中を歩き回って作ったらしいですよ。

 

さて、前置きはこれくらいにして本題に入りたいと思います。戦国時代の戦国大名達の目的は京都にいる天皇・朝廷から「征夷大将軍」の位を貰い、天下統一を果たすことです。これは「信長の野望シリーズ」でも同じことで、プレイヤーは京都の二条御所という拠点を抑え、尚且つ全国の領土の50%以上を治めるか、敵対勢力を全て滅ぼすと自動的にゲームクリアになります。

 

勢力を拡大し、敵対勢力と争う上で戦略的に重要な地域・城というのがどうしても出てきます。なので今回では、僕がプレイした時に各地方で重要な拠点をいくつかご紹介したいと思います。

 

①東北地方:福島県米沢城(伊達・上杉家)

伊達家といえば、独眼竜でお馴染みの伊達政宗が有名ですよね。でも、伊達家って仙台藩だから宮城県じゃないのって思われた方もいると思います。それになんで越後(現在の新潟県)の上杉謙信で有名な上杉家もいるのとも思われるのも不思議ではありません。

元々、伊達家は米沢城を拠点としていた東北の一戦国大名でした。しかし伊達政宗の世代になってからはその才能で領土を拡大していました。その時代は豊臣秀吉織田信長の死後、着々と日本統一を目指し関東の覇王:北条家と小田原城篭城戦の真っ最中でした。この時のエピソードとして、伊達政宗豊臣秀吉に反逆の意思なしを見せつけるために白装束で秀吉の前に参上したという逸話が残っています。その後、日本を手中に収めた秀吉は伊達家を始めとする東北の諸大名を監視する目的で越後の上杉家を米沢に転封させます。この時に米沢にいた伊達家は追い出される形で宮城県仙台城に移ったとされています。

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米沢の位置を見て皆さんはどう思いますか?東北地方に行かれた方は分かると思いますが、東北の主な都市は4つのパターンに分かれると思います。1つ目が日本海側の沿岸部、2つ目が出羽山地と奧羽山脈の間、3つ目が奧羽山脈と北上高地の間、そして4つ目が太平洋側の沿岸部です。東北地方は縦断するよりも横断する方が遥かに時間も労力も掛かります。そして、米沢は4つの縦断するポイントの最終地点とも言える拠点です。また、上下左右に動けることから戦略的に重要な拠点だといえます。

 

続きは次の記事に掲載したいと思います。

「信長の野望」から考察する前話

さっそくですが、みんな歴史は好きですか?

 

僕は大好きです。僕が歴史というものに初めて触れたのは小学校1年生の時、母に20巻もある日本史漫画シリーズを貰ったのがキッカケでした。今日の日本に至るまでに、僕達の人生全てを捧げても知りきれない歴史が、その20巻の日本史漫画にはありました。様々な時代から映る人々の生活や文化に触れる高揚感に興奮しっ放しでした。多分、冗談抜きでその日本史漫画を捨てるまでに100周は確実にしてると思います。(笑)

 

さて、日本史といっても原始・古代・中世・近世・近代・現代とする時代区分があり、また旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代飛鳥時代奈良時代平安時代鎌倉時代室町時代安土桃山時代、江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代とあり…歴史嫌いな人にとってはこれらを覚えるのも一苦労だと思います。

 

その中でも、僕が1番好きなのは安土桃山時代、俗に言う「戦国時代」です。まぁ何で好きかって聞かれたら戦国武将がカッコ良いから!!としか言えないです。

僕達が義務教育、高等教育で教わるこの安土桃山時代は基本的に1人の戦国武将の動きを抑えておけば試験でも6割は絶対に取れると思います。

その戦国武将の名は………

織田信長です。

尾張の大うつけと呼ばれたこの若武者は、桶狭間の戦い今川義元を討ち取り、室町幕府足利義昭を追放、長篠の戦いで武田軍を殲滅、そして天下統一へあと一歩のところで本能寺の変明智光秀に謀反を起こされ夢半ばで命絶えてしまいます。

この時代は良くも悪くも織田信長に振り回された時代でした。信長亡き後は、部下の豊臣秀吉が天下統一、秀吉亡き後は徳川家康征夷大将軍となり260年続く江戸幕府を開闢させました。

 

さて、歴史が苦手な人でも「へーなんとなく分かった」と思ってくれた所で、いよいよ僕がこのブログを開設した理由について話したいと思います。

 

僕は大学時代、ある1つのゲームにハマっていました。それは「信長の野望」という名シリーズシュミレーションゲームです。名前から分かる通り、戦国時代を自らが選んだ戦国武将で天下統一を目指すといった趣旨のゲームです。このゲームの本当の本質は天下統一でもなんでもなくて、「取捨選択の重要性」だと思います。

 

この「取捨選択の重要性」はまた別の機会に書きますが、このゲームは自由度が高く「信長の野望 戦国立志伝」では戦国大名の部下である戦国武将を選び、大名家の中である程度の力を蓄えると下克上により独立できるという戦国好きには堪らない胸熱展開があるのもこのゲームの醍醐味だと思います。

 

大学時代、ひたすらこの「信長の野望」をやり続けたことでこれからの人生や仕事で役に立つかもなと思ったことがあったので、今回ブログを開設してみました。僕より知識ある方から見たらなに当たり前のこと言ってんだとなるかも知れませんが、歴史好きがなんか書いてるな程度に思ってくれて結構です。「信長の野望」の考察シリーズのほかに、僕の大学時代に出来た新しい趣味であるcollege footballについても書けたらいいなぁと思ってます。あとはもしかしたら自作の短編小説なんかも書いてみるかもしれませんが、そこは構想が固まり次第って感じです。

出来るだけ間空かずに書いていきたいと思ってるので、温かく見守ってくれるとありがたいです。